生命進化と酵素
テレビで毎日見る健康食品のCMでは酵素がよく登場しますが、実は酵素は植物だけではなくすべての生き物に存在しています。すべての生き物、つまり単細胞のバクテリアから始まって多細胞の動植物まですべてです。酵素は触媒作用をもつタンパク質で細胞の中でアミノ酸から合成されます。アミノ酸の複雑な結合の仕方によって多種多様の酵素がつくられ、生化学反応の触媒となって、多種多様な物質を合成したり、不要な物質を分解処理して生命を維持するために使われます。人体には数千種類の酵素があるといわれていますが、その全てが解明されているわけではありません。人体は60兆個くらいの細胞で構成されていて本来その細胞の1個1個がそれ自体で1個の生命体といえます。細胞がたくさん集まって共同体をつくり、組織となり組織がたくさん集まって器官や臓器になり、それが集まって人体というメカニズムを動かすという多重構造を形成しています。では細胞が生命の最小単位かというとそうではありません。細胞もまた数多くのもっと小さな生命体(細菌、バクテリア)でできています。このような核を持たない原核細胞は15億年ほどかけて合体、共生を繰り返し、核を持った真核細胞に進化し、細胞になったそうです。つまり、細菌こそが今日確認できる生命体の最小単位であり起源といえるでしょう。
細菌は、その進化の過程で、様々な種類のタンパク質を生み出しましたが、同時に酵素も作りました。細菌が作り出した酵素は触媒となってさらなる複雑で多種多様な酵素を作り出し、また、それを合成するための設計図としてのDNAも作り、核の内部に保存し、個体から個体へと引き継がれています。私たちの細胞内では常時DNAの情報に基づき何千種類の酵素が合成されていて生命を維持しています。
体内酵素の減少
たった一つの卵細胞が分裂増殖して人間として成長していきますが、細胞が増えるのと同時に酵素の生産も増えていきます。20歳前に成長は終わり、それ以上酵素の生産は増えません。やがて老化により新陳代謝が衰えてくると酵素の生産量も落ちてきますので負のスパイラルが始まり、ますます老化は進み、やがて死を迎えることになります。体内酵素減少の原因は老化だけではありません。暴飲暴食、働きすぎ、疲労、ストレス、化学物質、薬物、アルコールなどが酵素の消耗を加速します。その意味で様々なストレスの多い現代社会は酵素を消耗しやすい社会であり、そのためがん、糖尿病、心臓病などの慢性病が蔓延しています。
体内酵素の補充
このように生産量が落ち、消耗していく酵素を補充するには、肉、魚、野菜など食事で摂取すればよいのですが、申しましたように酵素はタンパク質ですので、調理で熱が加わると変質します。ですので何でも生で食べるのがよいのですが、限界があります。また、胃に入ると、胃酸によって、タンパク質は分解され、最終的にはアミノ酸のかたちで吸収されます。つまり、酵素を合成するための材料は摂れても、酵素そのものはほとんど吸収できないのです。また、老化などで代謝が落ちていると酵素の合成能力も落ちていますから、なかなか補充できません。それでは食事で摂るよりも効率的に酵素そのものを体に入れる方法がないものでしょうか?
体表からの酵素の摂取
そこで考えられたのが、皮膚呼吸と同じように、体表から直接吸収するのはどうかということです。酵素が充満する環境に身体を置けばよいのではと考えました。また、皮下の毛細血管に酵素が入りやすくするためには、温めて血管を拡張して、血流を増やすことも効果的であることがわかりました。様々な試行錯誤の結果、米ぬかを用いるのが最も効果的であることが判明しました。米ぬかはバクテリアの餌になり、醗酵して増殖します。
発酵する時には熱が生じます。この熱は65度くらいまで上昇し、体温を上昇させるのに丁度いいのです。さらに、水分が与えられて発酵した米ぬかにはある種の物質が生じ、免疫細胞を活性化することが実験で確かめられています。米ぬかの栄養分と空気と水分を与えられるとバクテリアは分裂増殖を繰り返し、短時間で幾何級数的に増えます。バクテリアは細胞ですから、その微小な体内で酵素を生産します。この酵素はバクテリアの代謝物として桶の中にバクテリアとともに充満します。ですから桶の中は人間が入って酵素を浴びるのに理想的な環境となるわけです。酵素が米ぬかと一緒に素肌に触れると、表皮細胞の微細な穴(ナノレベル)から浸透し、皮下毛細血管に入り、血流に乗って全身の細胞に行き渡り、全身の細胞を活性化し、代謝を促進します。そのため内臓機能は活発になり、脂肪は燃焼され、肌は若々しくなり、元気になり、免疫力は向上してあらゆる病気に打ち勝つことができるようになるのです。
米ぬか酵素浴に出会ってからもうかれこれ18年近くになりましょうか。知人に紹介され、半信半疑というか無信全疑で1回限りのつもりで試してみて言われるままに3か月ほど毎日通い続けた結果、末期がんから奇跡的に生還し、3年くらいしてから「米ぬか酵素」という代替医療の施設を静岡県の藤枝市で開業したのです。平成14年の5月でしたから14年半になります。
施設を始めるとき、名称と商標を考えました。酵素浴には大まかに言って「おがくず酵素風呂」と「米ぬか酵素風呂」とがあるのですが、私を救ってくれたのは米ぬかの方だったので区別する意味で「米ぬか酵素」としました。商標については、できるだけ単純で、米の文字を自分でデザインしたのですが、米屋のマークみたいになってしまいました。マークの色ですが、これにはちょっとしたこだわりがありました。酵素浴に通い始めてしばらくたった時、4月の終り頃だったと思いますが、自宅の近くの公園のベンチに座ってぼんやりあたりの景色を眺めていたのです。木々の新緑が春の日差しで輝いています。「ああ、植物たちはなんて生き生きと輝いているんだろう!それに引き換え、自分はこれから死ぬ運命で不安に怯えている。植物も自分も同じ生き物なんだから、これはおかしい。自分だってあの新緑の木々と同じようにあるはずじゃあないか」・・・とそう思った瞬間、なんだか気持ちが温かくなってきたのです。だったらごちゃごちゃ余計なことを考えるのやめて自然の力に身を任せばいいんだと思えるようになったのです。
不思議なことにそれから間もなくマーカーが下がり始め、がんは消えていったのです。
開業してからの14年半に様々な病態と経過を見聞きしてきて、それについても考えたことは数多くありますが、それとは別に、酵素浴の桶の中にある菌体と、それが生み出す酵素なるものについて私なりにいろいろ考えたことをどうしても書いてみたくなり、久しぶりにブログ更新となりました。
酵素がどんなものかを知りたければ易しく解説している本が数多く出版されているのでそれをお読みいただければよいのですが、何故か酵素浴と菌体との関係について書かれた書物にはお目にかかったことがありません。また、酵素浴の効能についても何も研究されていないし、当然ながら何も論文らしきものが発表されていないようです。もちろん私だって研究したり実験したわけではないので、単なる仮説の域を出ないのですが、大筋ではそんなには間違っていないと思っています。
酵素風呂には大きく分けて2種類あるのをご存知でしょうか?
その違いについて簡単に説明したいと思います。その2種類とは、おがくず酵素風呂と米ぬか酵素風呂です。その違いは床材(寝床、つまり、桶の中身の材料)にあります。その名の通り、おがくず酵素風呂では床材におがくず(檜などの木材を製材する際に生じる切粉)を用いるのに対し、米ぬか酵素風呂では脱脂米ぬか(お米を精米する際に生じる生ぬかから米油を抽出した残りの固形分)を用います。また、両方のイイトコ取りを目論でおがくずと米ぬかをミックスして用いる中間的な酵素風呂もあるようです。
一見すると、この2種類の酵素風呂は、床材が異なるだけで、同じもののように見えますので、両方共「酵素風呂」として一括りで扱われていますし、おがくず酵素風呂の方が全国的にみて普及率が高いために、酵素風呂というと一般におがくず酵素風呂のイメージの方が強いのではないかと想像されます。ところが、実際には、この床材の違いというのが、この両者は似て非なるもの、ほとんど別物と言って差し支えないほどの決定的な違いを生んでいるのです。その違いについて説明します。
おがくずというのは木材の粉末ですから、その成分は単なるセルロースです。白蟻などのセルロースを分解して栄養分にする生物は別として、そこには生物にとって有用な成分はほとんどありませんし、それ自体には酵素は含まれていませんし、酵素を産みだすバクテリアを養うこともできません。したがって、そこで発酵熱を産みだすには外部から触媒としての酵素を加える必要があります。そのような酵素は主に果物など植物から抽出した液状のものを用います。
一方、米ぬかは、お米のもっとも栄養分の高い部分で、ビタミンやミネラルといった栄養素の宝庫です。脱脂の過程でビタミンEなどの脂溶性の成分はかなりの部分が失われているとは言え、それでもその主成分としてのタンパク質や様々のミネラルやビタミンなどの多くが残っています。そのため昔から飼料や肥料として利用されてきました。タンパク質とそのほかの栄養素は当然ながら微生物の餌にもなります。ですので、米ぬかを用いて多種類の微生物を培養することができます。また脱脂ぬかを用いることによって、保存性がよく、油成分の酸化による劣化と腐敗を防ぐこともできます。
発酵によって酵素は消耗しますので、発酵を維持するために、おがくす酵素風呂では植物由来の酵素を定期的に加える必要があります。それに対して米ぬか酵素風呂では、桶全体がいわばバクテリア培養槽となっていて、彼らにとって好ましい環境が維持されるかぎり、永久的に分裂増殖を繰り返して微生物としての種の命が続いていきます。そしてそのバクテリアたちが自らの体内(細胞内)で酵素を合成しますから、寿命で死んだものからは細胞内の酵素が外部(桶の中)に漏れ出しますし、かれらの代謝物(排泄物)には酵素が混じっていますので、桶の中身は、未消化の脱脂ぬかとバクテリアと酵素で充満していることになります。
以上のような床材の違いと、それによる発酵メカニズムの違いは、以下に述べるような結果をもたらします。
1.酵素の量の違い: おがくず酵素風呂では、外部から酵素を加え、加えた酵素は時間の経過とともに消耗減少するのに対し、米ぬか酵素風呂では、そこで常時分裂増殖して莫大な量になった微生物が酵素を産生しているので、桶内部の酵素の量が圧倒的に多い。つまり、体表から吸収できる酵素の量も多いと想像されます。
2.発酵の度合いの違い: 酵素の量が多いため、桶内部の熱の上がり方が違います。
より高い温度まで発酵熱が上昇し、その温度が長時間維持されます。
3.栄養素の違い: 米ぬか酵素風呂では、酵素だけでなく、米ぬかに含まれるそれ以外の有用成分も摂取することができる。
4.清潔さの違い: 米ぬか酵素風呂では浄化槽の原理と同様に、桶の中の微生物が人体からはがれ落ちる垢、角質、体毛などを分解処理しますから、米ぬか酵素風呂の桶の中は常に清浄に維持されます。また、人体に無害な好気性有用菌が支配的になっていて、他の有害嫌気性菌の繁殖は抑制されますので、たとえ何らかの有害菌が混入したとしても、増殖繁茂することができません。これに対し、おがくず酵素風呂では、微生物がほとんど存在しませんから、混入した異物は処理されず、次第に汚れてきますし、その異物を餌として嫌気性菌がはびこる可能性もありますから、床材は定期的に交換する必要があります。(このブログの論文カテゴリーにある「2種類の生物」を参照ください)http://komenukakoso.blog.jp/archives/1585029.html
5.メンテナンスの違い: 酵素を加えて攪拌するだけのおがくず酵素風呂と違い、米ぬか酵素風呂ではバクテリア(微生物)を培養していますから、かれらが元気で生活できるような環境の保全に神経を使わねばなりません。ですのでメンテンスはむしろ困難になり、ある程度の熟練が必要になります。
米ぬか酵素風呂では酵素を加える必要も、床材を交換する必要もありませんが、微生物を養うために、餌(米ぬか=タンパク質)と水と空気(酸素)を常に十分与えなければなりません。中でも、我々人間をはじめあらゆる好気性の生物にとって、もっとも大切なエネルギー源は酸素です。私たちは断食して何日も食べなくても生きていられます。体内に脂肪を蓄えていますから、いざという時は(野生動物の場合は何日も餌にありつけないことがよくあります)その脂肪を使うことができます。それより重要なのが水で、水がないと、そう長くは生きられません。そして、最も大切なのは空気です。ご存知のとおり、酸素が少し不足しただけで脳が働かなくなり、その結果全身が麻痺してすぐに死に至ります。この点は私たちのご先祖様である好気性のバクテリアも全く同様で、餌の米ぬかと水が十分でも、酸素が少し不足しただけですぐダウンしてしまいますから、注意が肝心です。酸素が欠乏すると、好気性菌は勢力が縮小すると同時に嫌気性菌が勢力範囲を拡大しますので、発酵の代わりに腐敗が起こるようになり、にがいような酸っぱいような独特の腐敗臭が発生するようになり、当然ながら発酵熱も発生しなくなり、酵素風呂として使えなくなるのです。
酸素が欠乏する原因はいくつかありますが、中でも重要と言えるのが、水分量です。
水分が多過ぎると、固まりやすく、空気が混ざりにくくなります。水分が多いと、体感温度は上昇しますので、床材の温度を上げたい時はどうしても水を多めにする傾向になりがちですが、混入空気は減少しますから、熱の維持は実際には困難になります。ただし逆に水不足になり、床材が乾燥し過ぎると微生物の活性は下がりますから、熱も下がります。
このあたりのバランスはかなり微妙ですから、日常的に餌の脱脂ぬかの量、天候、気温、湿度、換気の具合などを考慮しながら加える水の量を微調整しなければなりません。これらのバランスが適切で、発酵がうまく行っているときは、香ばしいよい香りがしますし、ぬかはさらさらでふわっとしており、固まりにくく、粒もできません。どちらかというと乾いた状態で、体感温度としては、びりびりとした刺すような熱さは感じにくく、逆にリラックスしてしっかり温まることができますし、何人入っても暖かさが持続します。この辺りの匙加減については、関与する変動ファクターが多く、一律にデータで示すことはほとんど不可能で、メンテナンス担当者の経験と、色、匂い、手ですくった時の感触などの微妙な違いをキャッチできる感性がもっとも重要になります。単細胞である微生物自体は肉眼では観察できませんが、犬や猫などと同様、生き物ですから、何よりも愛情をもって接することが肝要というわけです。
最近よく耳にする言葉のひとつに「高度先進医療」というのがあります。特にTVでのガン保険のCMには必ず登場します。かれらがいう高度先進医療というのは実際のところ具体的に何を意味するのでしょうか。CMの内容で見ますと、それはガン治療において従来から保険適用で行われてきた、手術、抗がん剤、放射線を用いた三大療法以外で政府管掌健康保険適用外の新出の治療方法で、しかも料金が法外に高いものをどうやらそのように呼んでいるらしい。
法外に高いので、そのような療法を保険適用にして誰でも手軽に利用できるようにしたら現在年間20兆円程度と見積もられているガン医療費(平成25年度国民総医療費推定およそ40兆円のほぼ半分を占める)はあっという間にその倍くらいになってしまい、健保財政は崩壊することは必定であるので、さすがの厚労省も保険適用認可ができるわけがありません。そこで民間医療保険にその部分を肩代わりさせてお茶を濁すと同時に保険業界にご馳走を与えながら、自らの保身も確保できるという一石二鳥を狙った賢い思惑の産物だろうことが本当のところでしょう。
その先進医療の代表としては、放射線の延長としての重粒子線照射というのと、リンパ免疫療法と言うのがあるようです。それら療法の詳細はネット上にいくらでもあるのでそちらをご覧いただけばよいのですが、大まかに言えば、重粒子線とは炭素などの原子核を加速器によって超高速に加速して強力なエネルギーを与え、そのエネルギーによってがん細胞を破壊しようというもので、非常な精度でもってピンポイントで目標を攻撃できるというおまけがついています。
粒子加速器というのは、元々この宇宙の成り立ちを解明する???ための素粒子の研究用に世界のあちこちに莫大な費用をかけて建設されてきた「科学研究」という名目でのお遊びの道具なのですが、何百億円もかけてその超小型版を作りがん攻撃に応用したという代物です。その莫大な費用は当然ながら怯えるガン患者のお財布からいただくことになりますので、その代金は一回304万円などというとんでもないものにならざるを得ないわけです。それは医療保険ビジネスと独立行政法人などという名の厚労省や文部省役人の利権の温床にとっては格好のネタであることに間違いありません。
人の生命は金には代えられないと考えれば304万円は人によっては決して高いとは言えないのかもしれません。(それで本当に命が助かればの話で、もしそうでないのなら、単なる詐欺まがい商法となります。) ガン細胞を破壊するのと生命を守るといのは実は別次元の話であります。この方程式が成立するためには前提があります。つまり、体に存在するガン細胞をすべて発見しうるという成立しえない前提です。細胞というのは非常に微細で、その大きさは平均すると10マイクロメートル、つまり1ミリの100分の1ですから、直径1ミリのガン組織でも、それは100万個のガン細胞の塊です。直径1ミリのガンを発見する方法はありませんから、どんなに精度の高い機械を用いてもガンを全滅させることなどできようはずがありません。
悪性のガン細胞であれば、極初期であってもどんどん転移するのでガンは全身いたるところに存在することになり、直径が1~2センチもあるような大きな組織ならいざ知らず、それ以外は手付かずになりますから、やがてそれらが発見可能な大きさまで成長してくると、それを破壊するためまた304万円の出費となり、以後その繰り返しとならざるを得ません。えらいこっちゃですな。治療する側としては、何百億円も回収しながら自分らの儲けも出さんといかないわけで、これはまたとない結構な話でしょう。あとは5年生存率何%だのの統計資料をでっちあげながらひたすら国家公認の詐欺行為を繰り返しておればよいということになります。
もうひとつの「リンパ免疫療法」なるインチキにも触れておく必要があります。ここでいうリンパとは白血球の一部を構成するリンパ球のことです。血液1立方ミリメートル(1ミリcc)中には通常3000個~6000個程度の白血球がありますが、そのうち30%程度がリンパ球で、残り65%程度が顆粒球、そして残りの5%程度がマクロファージということになっています。このあたりの比率は状況によって大幅に変化するのは以前のブログでも何回か書いてありますが、重要なことは、ガンを攻撃するのはリンパ球の方であるという点です。つまりT細胞やNK細胞で構成されるリンパ球の数と活性度(元気かどうか、あるいは練度が高いかどうか)がガンに対抗する免疫力の指標になります。いくら元気でも数が少ないと、急速に増え続ける敵に勝てません。またその逆に、いくら数が多くてもやる気に欠けていたり、訓練を受けていない統制がとれていない集団であったなら、やっぱり生き残りを賭けて必死な敵集団に勝てません。
リンパ免疫療法というのは、患者の血液を採取し、そこに含まれるリンパ球を抽出し体外で培養増殖して数を増やし、それを患者の血中に戻すというものです。確かに一時的には少なくとも数においては敵を圧倒することになるのですが、残念ながらそれは役に立たない兵隊さんでしかないのです。白血球は骨髄で生まれると、胸骨の裏側に張り付いている胸腺という小さな臓器に行って教育を受け、飛行機のパイロット訓練みたいにエリミネートされ、卒業できた者だけが現場に配属されるという仕組みがあります。卒業できない連中は非情にも殺されてしまうようです。つまり、この厳しい試練を勝ち抜いたエリートだけが敵と対峙することになります。ところが、体外で増やしたリンパ球はこの過程を経ていませんので、戦力にはならないのです。リンパ球も数が多すぎると、味方を攻撃してしまうなどの弊害が生じますから、数ばかり増えた無能な集団はかえって有害になるリスクも生じます。この療法を試して命が助かったという例を私は見たことがありません。1回30万円を6回やって全部で200万円近く払って結局は延命できたかどうかもわからず、最後を迎えることになるのでは、やはりインチキそのものだというのが私の見方です。
結論としては、高度先進などというのは名ばかりで、実態は詐欺まがい商法ということになります。生命の営みは人智をはるかに超えたものであって、人間の浅はかな計らいで操作できるようなものではないとうこと。ましてや、その目的が保身と金儲けということであれば、なおさらです。私たちは、NHKを代表とするマスコミの報道を盲信して騙されることなく、自分の考えをしっかり持ち続ける必要があるとどうしても思えてらないのです。
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今や日本国民の二人に一人が癌になり、三人に一人が癌で死亡するという時代になっているにもかかわらず、私たちはその病気についてあまりにも無知過ぎるように思えてなりません。 そして、その無知なるが故に無駄な検査や有害無益な誤った治療を受けて大変な目にあってしまう人々が後を絶たず途方もない苦しみと悲しみをもたらし、健保財政を圧迫し、増税と国民生活の困窮をもたらしています。
このような窮状を打破するのにもっとも大切なことは、ひとりひとりがそれに対する正しい理解と知識を持つということに他ならぬと考えます。 そうすることによってその病気を未然に防ぎ、あるいは、防ぐことができなかったときも慌てずに正しい対処が可能になるでしょう。 そのためには、先ず最初にその原因を知る必要があります。
がん細胞の発生
がん細胞は細胞分裂に先立つDNAのコピーミスによって発生します。 DNA転写は極めて短時間に非常に複雑なプロセスを経て行われ、万一ミスが発生しても、修復システムが働くようになっていますから、欠陥をもったままの細胞が発生する確率は実際には数百万分の一とか数千万分の一とかいった具合に非常に小さいのです。 それでも人体は60兆から100兆個もの細胞で構成されていて、毎日1兆回ほどの細胞分裂が繰り返されていますから、少ないとは言っても毎日何十万個かの様々な欠陥のあるDNAを持った細胞が発生している勘定になります。 このような欠陥DNAを持った細胞のほとんどは生き続けることができず死滅しますが、欠陥の内容と程度によっては辛うじて生き残り、増殖にブレーキがかからないものも出てきたりします。 これががん細胞で、だれでも毎日平均すると少なめに見積もっても数千個程度は発生している勘定になります。 これがそのまま放置されれば、人は全員全身的にがんに冒され若くして死亡することになり、人類という種の保存もままならなくなることになりますが、実際にはそうなっていないということは、体には元来そのようにして発生したがん細胞を処理する機能が備わっていると考えるのが妥当でしょう。
免疫システム
私たちの身体は常に様々な脅威に曝されています。 外からはウイルスや悪性菌、内部からは癌細胞、そして様々な有害物質などもあります。 このような内外からの脅威から身を守る防御システムが無いと私たちは生存できません。
その防御システムこそが広い意味での免疫システムです。 人に限らず、他細胞生物はその進化の過程で驚くべきほど巧妙で高度な免疫システムを構築してきました。 特に人の場合は、大脳皮質と前頭葉の発達による高度な精神活動が単なる自律神経系による反射的免疫とは異なる、より高度で広範な免疫行動を可能ならしめています。
自律神経の働き
私たちの言動は脳の指令で運動神経が電気パルスを筋肉に伝達することで実行されます。 ここにはどんな言動を起こすかという本人の意思が介在しています。 これに対し、自律神経系では意思の介在はありません。 全ては自律的かつオートマチックに作動します。 自律神経系は交感神経系と副交感神経系の二つの系統で構成されてバランスをとっています。 自動車に例えれば、アクセルとブレーキです。 状況に応じて加速したり減速したりする必要があり、もし一方が行き過ぎたままになると事故や故障が生じます。 自律神経系はさらに内外分泌系とも連携し、様々なホルモンや消化液の分泌などもコントロールしてホメオスタシスの維持を行います。
自律神経と免疫
体の内外を問わず、何らかの支障が発生したり、微生物の侵入があったり、傷害を受けたり、あるいはそのような事態が予想されると、反射的に交感神経が興奮状態になり、全身的に防御体制になります。 具体的には、俊敏な回避行動を可能ならしめるために、副腎髄質からアドレナリン、交感神経末端からはノルアドレナリンと呼ばれるホルモンを分泌させ呼吸と脈拍を高めると同時に血圧と血糖を上昇させて、激しい運動に備えて全身の筋肉に十分な燃料としてのブドウ糖と酸素を送り込みます。 また、負傷して敵対的な菌が体内に侵入したり、その事態が予想されると、骨髄での細胞分裂を促進して菌と戦う兵隊としての白血球の数を増やします。 ただし、この場合増えるのは、白血球の中で通常60-65%を占める顆粒球と呼ばれる部分です。 これで悪性菌による感染に対する免疫は高まります。 ところが、癌細胞と戦うのは顆粒球ではなくて白血球の中で通常30%前後を占めるリンパ球の方です。 顆粒球が増えると、相対的にリンパ球は減少することになりますから、癌細胞に対する免疫は低下することになります。 このようにして、交感神経の興奮は結果的に癌細胞に対する抵抗力を弱めてしまい、日々発生する癌細胞を処理しきれなくなったり、その増殖を許してしまうことになります。
ストレスと交感神経
ストレス(stress)とは本来はストレッサー(stressor)であって、ストレスを与えるもの、つまり「有害因子」のことです。 私たちは環境の中で、非常に多くの種類の強弱様々な物理的あるいは精神的なストレスに日々曝されています。 特にその程度が過度な場合は、自律神経が働き反射的に身を守ろうとして交感神経を緊張させ、前項で書いたような反応が起こりますが、そのストレスが一過性のものであれば、やがて交感神経の興奮は収まり、すぐに身体は平常に戻ります。 問題はむしろ数週間、数ヶ月、あるいは何年もの長期間毎日継続的に繰り返されるような慢性的ストレスです。 このようなストレスの例としては、騒音、劣悪な職場環境、職場や家庭での殺伐とした人間関係などのような回避することが困難なものが挙げられます。 こうしたストレスは、たとえ比較的軽いものであっても、絶えず交感神経の緊張を持続させるため、長期に渡って免疫低下、免疫機能不全をもたらし、様々な症状を伴う慢性病を発症する下地になります。
細胞分裂の頻度と癌細胞の発生頻度
癌細胞が細胞分裂の際のDNAのコピーミスによって発生することは既に述べました。 通常何十万回、何百万回に一回という具合に、そのミスの発生頻度は非常に小さいのですが、何らかの事情で細胞分裂の頻度が高まったり、放射線(電磁波)や薬物の作用でDNAの複製が直接傷害されたりすると、結果的に癌細胞の発生頻度が増大します。 それでは細胞分裂の頻度が高まるのはどんな時でしょうか。 それは、組織が破壊され、修復が必要になった時です。 組織が破壊され、そのままになっていると、感染を招くのはもちろん、連鎖的に傷害が拡大し、結果的に臓器の機能不全、そして、死をもたらしますから、傷害を受けた組織は大至急修復されねばなりません。 そのためには細胞分裂の速度を上げることによって新しい細胞を補充する必要があります。
もっとも傷害を受けやすいのは粘膜で覆われている上皮組織です。 口腔から始まって、食道、胃、小腸、大腸、直腸に至る消化管の内壁は粘膜で覆われていますが、発生的にも構造的にも体の外側であって、常に外部と接触しているので、様々なストレスに曝されていて傷害を受けやすいのです。 気管から肺胞に至る気道の内壁も同様に呼気に含まれる有害物質による組織破壊を受けやすいと言えます。
また、臓器によっては、もともと細胞分裂の頻度が高いものがあります。 それは腺組織と骨髄の造血幹細胞です。 甲状腺、副腎、卵巣、子宮、前立腺、睾丸などホルモンを分泌する内分泌器、そして、胃壁、肝臓、膵臓など、消化液を分泌する外分泌器は、その分泌物の生産に酷使されていますから細胞の寿命が短いため、分裂頻度が高いのです。 肝臓で作られる胆汁は脂肪を分解し、膵臓で作られる膵液はタンパク質を分解しますから、胆汁の経路である胆道と胆管、そして膵臓は、それら消化液による自己消化のリスクに曝されていて、障害が発生する頻度も高いというわけです。 暴飲暴食は酵素を消耗させ、酵素と消化液を分泌する臓器を疲弊させてしまいます。
また原発事故により環境中に飛散した放射性物質が体内に入ると長期間にわたってガンマ線のような波長の短い(高エネルギーの)電磁波を放射し続けるため細胞分裂時のDNA転写ミスを多発させますから、特に乳幼児のように細胞分裂が盛んな年代にとっては危険極まりないということになります。
ある種のウイルスは細胞やそのDNAを破壊しますから、これも炎症を引き起こし癌細胞大量発生のリスクを高めることになります。
組織破壊の原因
上皮組織の破壊は主に有害物質や刺激物による物理的ストレスによって生じます。 アルコールやタバコの煙などはその代表と言えるでしょう。 このような刺激物は嗜好品であり、しばしば常用されるのでリスクが高くなるのです。
また、体内の酵素が分解処理できないような人工的合成物、化学薬品などは組織、臓器に残留して慢性的に組織傷害をもたらしたり、マクロファージが貪食できないような異物(たとえばアスベストのような物質)は長期間に渡って組織障害を継続させて細胞分裂の頻度を上昇させます。
結論
以上みてきたことから言えることは、人にとって癌細胞が発生することは細胞分裂によって成長し体を維持する生物にとって当たり前のことであって、それに対処する能力ももともと備わっているということ。 そして、組織障害によって細胞分裂の頻度が上昇しても、かなりの程度までは許容範囲があること。
そして最大の問題は、ストレスによる自律神経のバランスの乱れが免疫システムの機能低下をもたらし、その結果、発生した癌細胞の除去が不完全になってしまうことが同時に起きてしまった場合に生き残った癌細胞が増殖と移住(転移)を繰り返して正常な組織や臓器を破壊してしまうことになるということです。 そのような事態を未然に防ぎ、あるいは不運にもそのような事態に立ち至ってしまったときにどうすればよいかは自ずと理解されましょう。
私たちはどうも科学という言葉に弱いような気がしますが、そもそも科学という言葉自体まったく意味をなさない奇妙な造語と言えます。 英語の「SCIENCE」に相応することになっているのですが、その本来意味するところにまったくふさわしくない訳語なのです。
本来の意味は、SCI(知る、識る)+ ENCE(こと…抽象名詞の語尾)ですから、「知ること」或いは「識ること」となります。 一方「科学」の「科」は、「科目」、「理科」、「社会科」とか、「人事課」や「捜査一課」などに使われている「科」または「課」であって、その性質や内容によって分類された部分であるから、「科学」とは物事を細分化し命名し分類する学問ということになります。
科学技術は私たちの暮らしを便利で快適にするために多大な貢献をしてきたことは確かな事実でしょう。 しかし一方では、科学的思考が本質的に持っているまさにその細分化,命名、分類という一連のプロセスによってとてつもなく大切なものが失われてきたようです。 その大切なこととは、つまり、他者との関係、宇宙はひとつであり、その中に存在するものはすべてそのひとつの一部分を構成している部分であるという考え方です。 別の言い方をすれば、部分は全体であり、全体は部分の集合体であるとする考え方ともいえます。
万物は連続していて、人間が作った物差しで必ずしも細かく分類などできるものではないのではないか。 そのようにして、科学(分類)することによって、却って本質からかい離してしまうのではないかという危惧が生じます。 この良い例は現代医学が犯している過ちを見るとよく理解できます。 病院に行くと、様々な「科」があります。 内科、外科、泌尿器科、呼吸器科、循環器科、消化器科、皮膚科、産科、婦人科、精神科、心療内科などなどです。 そして、それぞれの科には担当の専門医というのが存在します。 彼らは自分の専門というちっぽけな部屋に閉じこもっていて、他の部屋の中、あるいは外の世界のことを知ろうとしません。 こういうのを俗に島国根性とか縄張り根性とかいいます。
自動車やコンピュータのような機械ならまだしも、人間の体はそれこそ一体であって、そもそもそのような部分に分けて取り扱うなどということ自体があってはならないはずです。 体のあらゆる臓器、組織、さらには個々の細胞に至るまで、そのすべてが、神経の電気パルスや体液を流れるホルモンなどの様々な物質、さらには未知の媒体(多分存在するであろう)を介して密接な連携を保ちながら個体の生命と種(DNA)の保存という共通の目的のために働いているわけですから、部分的な支障は必ず全体に影響し、またその逆に全体的な支障、例えば脳卒中でいつも見られるように脳など中枢神経系における障害は様々な部分へ症状として発現することになります。 さらには、心の病は体を痛め、体の病は心を痛めることにもなります。
部分は全体であり、全体は部分でもある。 このように考えるのはホリスティックな思考と言います。 この言葉の中心は“whole”(全体)であって、その音からわかるように、ヘルスやホーリー(聖なる)とも関係しています。 別に医学に限った話ではなく、ホーリズム(全一主義とも呼べる)はもっと大きくて普遍的な思想であります。 体を全宇宙に置き換えるとしたら、一人一人の人間は細胞であって、宇宙の一部ということになり、宇宙と人間は一体であるというわけです。 このホーリズムに関しては非常に奥の深い話になりそうなので別の機会にまた考えてみたいのですが、ここで本論に戻ります。
さて、科学の用語的意味論とは別に、それが必ずしも万能ではあり得ないもう一つの重要な根拠が存在します。 それは人間の五感における生物学的限界に起因します。 普通五感の中で最も中心的なのは視覚と聴覚です。 私たちはこの世界のすべてを見たり聞いたりできていると思っていますが、それは錯覚に過ぎません。 実際にはほとんど見えていないし、聞こえてもいません。
光は電磁波という波の振動で、音は空気の振動による波です。 それぞれには反比例する振動数と波長があって、超低周波から超高周波まで無限の広がりをもっていますが、残念ながら人間の目や耳が感知しうる周波数の幅は極めて狭い範囲でしかないのです。 人間の場合、視覚においては、電磁波の内の赤として認識できる波長から紫に見える波長との間の可視光線と呼ばれる極めて狭い範囲の周波数帯の光しか見えません。 無限の拡がりを持つ電磁波のうちのほんの一部ですから、客観的にはゼロに近いといえるでしょう。 ですからほとんど何も見えていないということになります。
このように私たち人間の認識というものは極めて狭い(ほとんどゼロに近い)わけですので、その認識に基づく脳での思考も極めて限定的にならざるをえないのです。 ですから分かったつもりでも実は何も分かっていないということになります。 科学信仰がいかに危ういものであるかということの大きな理由はここにもあります。
厚労省の最近の統計では国民医療費の総計は40兆円にのぼり、その大部分は癌をはじめとする慢性病、生活習慣病の治療に費やされています。 特に高額な医療費負担を強いる癌に罹患し死亡する人は年々増加し毎年30万人を超える人が亡くなっています。 1日あたりですと1000人に近い人数です。 年間総死亡者数は100万人あまりですから、癌は死亡原因の三分の一を占めるに至り、いまや日本国民の二人に一人は癌になり、三人に一人は癌で亡くなっていると言われています。 またある統計によると、癌による死者のうち癌そのもので亡くなる人はむしろ少なく、肺炎や多臓器不全などといった、むしろ体を痛めつける侵襲的治療によるダメージと免疫低下に起因するものが80%以上を占めるという異常な実態を示しています。
従来西洋医学がその威力を発揮してきた感染症や救急救命医療の分野はその比率を大幅に下げ、今や慢性病の治療が医療の大部分を占めるに至っていますが、薬物に頼る対症療法中心の現代西洋医学では症状の緩和にとどまり、根治に至らぬばかりか、薬物の副作用によって問題はさらに複雑化、難治化し、困窮する患者は減るどころか増加の一方ですから、当然医師不足、医療機関不足になり、病院はどこも満杯状態で患者の診察時間はますます短く、待ち時間はますます長くなり、健保財政はますます困窮し、健保税は増額の一途という惨憺たる結果をもたらしています。 薬漬け、検査漬け医療が問題視されるようになって久しく、昨今では医療崩壊までもが叫ばれていますが、何ら本質的な議論も対策も行われず、医師不足解消の方策など、行政はこの大問題にそれこそ対症療法でお茶を濁そうとしているかのように見えます。
この問題の背後に横たわっているのは明らかに医学の分野での最高権威とされる東大や京大などの国立大学医学部を頂点とする空虚で無意味な医療ヒエラルキーであり、そこに充満する根底から腐れ切っている現代医学思想とそれをベースにした大間違いの医学教育と権威主義であり、医療をビジネスの手段として強固な絆で結ばれた医療産業と行政組織の癒着構造に間違いないでしょう。 人々の命の尊厳を無視したこの無知でモラルに反する国家的病根はあまりにも深く広く社会全体のシステムと一体化しており、最早人為的改革は困難にも見えますが、国全体を蝕むこの全身病は近い将来必ずや壊滅的自滅をもたらすであろうことは想像に難くありません。
生態系を構成するあらゆる種類の生物の中で最も重要な役割を果たしているのが微生物です。 微生物が存在しないと植物は存在できず、植物が存在しなければ動物も存在できません。 つまり、微生物は地球上のすべての生命を支えているというわけです。
土壌には通常大量の鉱物の微細な粒子が含まれていますが、それが植物の根から吸収されるには、水に溶けた状態になっている必要があります。 土壌中の鉱物粒子はいくら小さいといっても、水に溶けるには巨大過ぎますから、水の分子と混じり合うには分子レベルのサイズにまで小さくなっていなければなりません。 金属の粒子をそこまで細かく加工するのは機械的な工程では不可能です。 実はその加工をやってくれているのが微生物というわけです。 したがって、農業に適した肥沃な土地というのは微生物が生存するのにその環境が適している土地ということになります。 そこでは、多くの微生物たちがせっせと土壌中の金属粒子を細かく細かく消化してくれていますから、そこの水分には、鉄、銅、亜鉛、マグネシウム、カルシウム、カリウム、などの多くのミネラルが溶けていることになります。 植物はそのミネラル豊富な水を根から吸い上げ、アミノ酸を合成し、酵素を作り、光合成を行いタンパク質や糖分やでんぷんなどを合成し成長します。
草食動物がそれを食べて消化吸収して成長し、今度は肉食動物がそれを食べ、植物と動物の死骸や排泄物は微生物が分解し土に戻ります。 そして、この究極的リサイクル活動が何億年も続いています。
病害虫を防ぐために農薬を使用して土壌の殺菌を続けると金属粒子を消化してくれている有用な微生物も死滅しますので、植物は土壌中の水分から十分なミネラルを吸収することができなくなりますからミネラル不足の貧弱な植物になります。 それを食べる動物はミネラル不足の動物になります。 ミネラル不足の動植物を食べて生きる人間も当然ミネラル不足になり、体内酵素が不足しますから、代謝と活力が低下し、免疫が低下し、病気が蔓延し、薬物の使用がさらに酵素を消耗するといった具合に多くの現代人がその悪循環のスパイラルに堕ち込んでいるように思われます。 工業化に伴う環境中の有害化学物質の増大や高蛋白高脂肪高カロリーの食生活などと並び、先進国で癌や糖尿病などの慢性病が蔓延している要因のひとつとして数えることができるでしょう。